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お笑い第一世代のメンバーは?思い出のコンビは誰!!

ミヨピン
ミヨピン
こんにちは!お笑い大好きミヨピンでーす!

今や漫才、落語、コント、お笑い番組には必ず人気芸人を見かけない日はありませんね。

お茶の間は笑いでいっぱいです。

笑うということは、家庭円満につながりますし、コミュニケーションにも健康にも一番いいことなので

お笑い芸人さんは本当に人助けに大いに貢献されて、頭下がる思いです!

お笑いの先輩方々が礎を作ってくだっさたといっても過言ではないとおもいます。

そんなお笑い先輩が第一世代に当たるのではないでしょうか?

その第一世代をリサーチしてみましょう!

 

第一世代にはお笑い芸人は誰がいるの?

ドリフ
第一世代には僕たちがリサーチしますよ。僕たちザ・ドリフターズも第一世代当たります。

この時代は昭和30年時代後半から40年前半(1962年頃から1969年頃)不景気による沈滞ムードの中、テレビに笑いを求めていました。

テレビは演芸番組を中心としたブームとなったのです。どんな番組が放送していたかというと

代表的な番組は?

日本テレビ『お笑いカラー寄席』『笑点』『お笑いモダン亭』『夜の笑待席』
フジテレビ『お茶の間寄席』『お笑いタッグマッチ』
NETテレビ『大正テレビ寄席』『日曜演芸会』『テレビ演芸場』『お笑い0番地』
朝日放送『かねてつトップ寄席』『シャボン玉寄席』
関西テレビ『お笑いとんち袋』
読売テレビ『ライオンお笑いネットワーク』
名古屋テレビ『東西デラックス寄席』
NHK総合(NHK大阪製作)『土曜ひる席』

 

お笑いタッグマッチ(フジテレビ系)「大正テレビ寄席」(NETテレビ、現・テレビ朝日系)など演芸番組が数多く放送されました。
テレビにおけるお笑いの地位を確立したのです。

現在も放送している「笑点」(日本テレビ系)もこのブームのさなかに放送が開始されました。

「昭和の爆笑王」は誰?

初代 林家三平落語四天王七代目 立川談志、五代目 三遊亭圓楽、三代目 古今亭志ん朝、五代目 春風亭柳朝など)、上方落語四天王(三代目 桂米朝、三代目 桂春団治、六代目笑福亭松鶴、五代目 桂文枝)などの落語家

 

第一世代漫才コンビは?

Wけんじ、獅子てんや・瀬戸わんや、コロムビア・トップ・ライト、Wヤング、若井はんじ・けんじ、正司敏江・玲児、夢路いとし・喜味こいし、晴乃チック・タックなどの漫才師、

 

コント55号、てんぷくトリオ、漫画トリオ等のコントグループが出てきました。

また、コミックバンドとしてはハナ肇とクレージーキャッツの後を受けて活動していたザ・ドリフターズがコントグループへと転換
し不動の地位を得たのです。

 

ドリフ
ドリフターズはクレージーキャッツの後輩です。結成当初から4年ほどは音楽バンドとして活動していました。
楽曲主体による音楽ネタなどを得意としており、テレビや映画出演が多くなるにつれ、
コミックソング、コントやギャグが主体となっていました。当たりギャグは「8時だョ!全員集合」「ドリフ大爆笑」ですよ!

「8時だョ!全員集合」「ドリフ大爆笑」これで人気がでたのです。

いかりや長介(リーダー)、高木ブー、仲本工事、加藤茶、志村けん、志村けんの前は荒井注がメンバーです。懐かしいなあ~!長さん!

 

ミヨピン
ミヨピン
「8時だョ!全員集合」は学生のころこれが楽しみでした。優しい口調で、お風呂はいれよ!宿題しなよ!車に気を付けてよ!歯を磨けよ!早く寝ろよ!これはザ・ドリフターズの名フレーズでこれを聞くのが楽しいでテレビに釘付けになってました。

第一世代 萩本欽一(コント55号) 志村けん(ザ・ドリフターズ)一世風靡!!

コント55号

萩本欽一、坂上二郎のコントコンビです。同じコントは二度とやらないをキャッチフレーズとして、萩本欽一を「たれ目」坂上「チョコ目」と呼んでうれだしたのです。

 

志村けん(ザ・ドリフターズ)

志村けんは後期ザ・ドリフターズの中心人物です。

人気番組 「だいじょうだぁ」「バカ殿様「8時だョ!全員集合」「ドリフ大爆笑」

 

ドリフ
志村けんはドリフターズの付き人に戻ったが、戻った直後の1973年12月に「メンバー見習い」の扱いで、「志村けん」に改名した上でドリフに加入しました。

1974年3月31日をもって荒井注が脱退し、4月1日に正式にドリフのメンバーとなりました。

この時、いかりや長さんは自分や荒井と同年代の新メンバー豊岡豊の加入及び、すわしんじの昇格も検討していたが、志村の順番であったことと加藤の推薦により若手の志村が起用されました。当時、志村は24歳でした。

なぜ第一世代の謂れは?

第一世代~第六世代に仕分けしたのはウィキペディアに記載されているのです。

仕分けは自然の流れに仕分けされたのではないでしょうか?

『第七世代』といいだしたのは?

霜降り明星・せいやが、次の年号の世代を『第七世代』と勝手にいいだしたのです。20代で区切って固まることを提案したことによるものです。
これは、当初は芸人に限った話では無く、同世代のYouTuberやミュージシャン等とともにジャンルを超えて集まることの提言であったそうです。

この時の「七」という数字は、せいやの思いつきによるものであり、「順番ではないんすよね。平成世代とか、なんでもよかった」「『ゆとり世代』でもええわ」ということであった後にせいやは、

「ちょっとそんなん(第七世代)があったらおもろいなってラジオで言ったらブワッと広がってしまって…。」と語っています。
さらに、「上の世代に勝とうとかじゃなくて、自分ら20代でしかできないお笑いがあるのではないか、そういう可能性を探る世代」としての意味だそうです。

 

お笑い第一世代のメンバーは?

 

 

林家三平

 

 

笑福亭仁鶴

 

 

立川談志

 

かしまし娘

 

レッツゴー三匹

 

青空球児・好児

 

 

てんぷくトリオ

 

ハナ肇とクレージーキャッツ

 

コント55号

 

ドリフターズ

漫画トリオ

 

まとめ

ミヨピン
ミヨピン
お笑い第一世代はお笑い界を引っ張ってきた初代です。

わあ!私たちと共にこの時代に生きたきた第一世代の方々で、私はとても感動してます。昭和の今から日本は経済成長期に入るまだ日本もこれからだあ~!というとき生活もそれほど豊ではなかった時代で、テレビがなりよりの楽しみの毎日です。

お笑いブームが起きてつらいとき苦しいときに笑って吹き飛ばすエネルギーをもらいました。

日本におけるお笑い界の礎を築いたお笑い芸人さんなのです!まさにレジェンドです。日本の国を明るくして頂きありがとうございました。昔を思い出すことができて幸せです。お笑い最高‼

 

 

 

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